Utako Shindo

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[latest]アグネス・マーティンの芸術実践における「Innocence」の概念についてー映像作品《ガブリエル》(1976)の再解釈を通して, 進藤詩子/Utako Shindo

 
本原稿は、2020年12月20日に開催された 第2回表象文化論学会オンライン研究フォーラム2020(研究発表3)で発表され、また資料として配布された。  


[発表の要旨]
本発表では、アメリカ合衆国の美術家アグネス・マーティンの作品群のうちでただ一つの映像作品《ガブリエル》(1976)を取り上げ、彼女の芸術実践のなかの本映像作品の意義について論じる。自らの芸術を語る際、マーティンは「Innocence」という概念を繰り返し用いており、本作品でも「Innocence」が鍵概念だと述べている。だが、それにも関わらず、批評家R.クラウスは、マーティンの作品における「Innocence」概念を看過しているのみならず、マーティンの作品群における本映像作品の意義も認めていない。他方で、批評家D.クリンプは、マーティンの絵画と映像の関連に着目し、その鍵概念として「Innocence」に着目しているが、この概念が何を意味するのか詳らかにしてはいない。 近年、「Innocence」概念は、マーティンの絵画論(ドローイング論)のコンテクストで再評価されている。美術史家A.ロバットは、「Innocence」概念を、「ナイーブでセンチメンタル」といった一般的な意味ではなく、むしろ、これまでの芸術実践の枠組みを超えるラディカルな意味として捉え直している。ロバットによれば、「Innocence」概念は「Shimmer(微かなきらめき=揺らぎ)」のうちに体現されている。 本発表では、ロバットのこの指摘を本映像作品《ガブリエル》の読解に援用し、この映像作品の、輝きまた陰るモチーフの繰り返しといった対立関係を打ち破る構成にこそ、「Innocence」概念はもっとも鮮烈に体現されていることを明らかにしたい。さらに、この「Shimmer」が、観客の側にも、これまでの枠組みを超えるラディカルな立場を与える役割を果たすことをも示したい。 映像作品《ガブリエル》における「Innocence」概念の意義に光を当てることで、マーティンの芸術実践全体を一貫する思想の一端を明らかにすることができるのではないかと考える。

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